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名古屋地方裁判所 平成8年(わ)1894号 判決

主文

被告人を懲役二年六か月に処する。

理由

(認定事実)

被告人は、昭和四四年四月名古屋弁護士会所属の弁護士となり、法律事務所に勤務した後、昭和五五年四月愛知県豊橋市《番地略》に「甲野総合法律事務所」の名称で事務所を開設し、関係人の依頼により訴訟事件、非訟事件、調停事件その他一般の法律事務を行い、これに付随して金銭の預託を受けるなどの業務に従事していた。ところで、被告人は、昭和五五年ころから株式取引を行っていたが、平成二年の株価暴落を機に損失が増えたため、損失を取り戻そうと考え、平成四年ころから投機性の高い株価指数オプション取引に手を出したものの、一層負債を増やす結果となり、多額の負債を抱えるに至った。

第一  被告人は、BがCを相手方として名古屋地方裁判所に申し立てた平成五年(借チ)第二号借地条件変更申立事件(C所有の名古屋市西区《番地略》の宅地[地積一六三・六七平方メートル]についてのもの)に関し、平成五年四月二日ころ、Cの代理人Dから、E弁護士と共に受任して、同事件の非訟行為を行い、平成六年三月三一日、BがCから右土地を買い取る旨の和解が成立したことにより、同日Bから和解金として金額七七一六万五一五〇円の小切手一通の交付を受け、右小切手を豊橋市八町通五丁目三五番地所在の株式会社東海銀行豊橋東支店の「弁護士A」名義の普通預金口座にて取り立てて入金し、これをDのため業務上預かり保管中、別紙一覧表のとおり、同年四月四日ころから同年五月二七日ころまでの間、前後一〇回にわたり、同支店において、ほしいままに自己の借金の返済及び株式購入資金等に充てる目的で右口座から合計七三五九万三六七八円の払戻しを受けるなどし、もって右七三五九万三六七八円を着服して横領した。

第二  被告人は、F及びGから、F及びG共有の豊橋市《番地略》の宅地(地積二〇三・八〇平方メートル)及び同所のF所有の木造瓦葺二階建居宅(延べ床面積九八・七九平方メートル)の売却方の委任を受け、同年一二月二〇日、F及びGの代理人として、Hとの間で右土地建物の売買契約を成立させ、Hから売買代金として一五〇〇万円の交付を受け、Fとの特約に基づき、右現金からFに対する別事件の弁護士報酬の未収金一九〇万円を控除し、その残額一三一〇万円をF及びGのため業務上預かり保管中、同日、名古屋市西区《番地略》所在のD方において、ほしいままに右一三一〇万円を第一の業務上横領事件の弁償金の一部として同人に手渡し、もって右一三一〇万円を費消して横領した。

第三  被告人はI’ことI子がJ及びKを相手方として豊橋簡易裁判所に申し立てた平成六年(交)第二六号損害賠償請求調停事件に関し、同年一〇月上旬ころ、J及びKから受任して、調停手続に関与し、平成七年五月二九日、Jから、申立人I子に支払うべき損害賠償金として、株式会社中京銀行豊橋支店(豊橋市札木町七〇番地所在)のA名義の普通預金口座に二〇〇万円の振込送金を受け、これをJ及びKのため業務上預かり保管中、同月三〇日、豊橋市駅前大通三丁目六三番地所在の株式会社東海銀行豊橋支店において、ほしいままにその全額を自己の株式購入資金等に充てる目的でキャッシュカードを用いて右口座から一五〇万円の払戻しを受けるなどし、もって右二〇〇万円を着服して横領した。

(証拠)《略》

(争点に対する判断)

検察官は、第一、第二の事実に関し、被告人には弁護人主張の金額を控除ないし相殺できる根拠はない旨主張し、弁護人は、それぞれの横領金額の算定評価を争い、被害者C関係については被告人の報酬分三三五万円を控除すべきであり、被害者F関係については一九〇万円の未払報酬請求権と相殺されているから同額を控除すべきである旨主張しているので、以下この点について判断を示す。

一  第一の事実について

前掲関係証拠によれば、次のような事実を認めることができる。すなわち、

1  被告人は、判示のとおり、平成六年三月三一日、BがCから土地を買い取る旨の和解が成立したことにより、同日Bから和解金として金額七七一六万五一五〇円の小切手一通の交付を受け、株式会社東海銀行豊橋東支店の「弁護士A」名義の普通預金口座にて取り立てて同金額を入金したこと

2  被告人は、同日、E弁護士との間で、報酬金を七七〇万円と見込んで、既に着手金として受け取っていた一〇〇万円を控除した六七〇万円を折半することで合意したこと

3  被告人は、同年四月四日、保管していた右七七一六万五一五〇円のうち、別紙一覧表番号1のとおり、一八〇〇万一四四二円(振込手数料として引き落とされた一四四二円を含む。以下同じ)の払戻しを受け、同日、株式指数オプション取引に充てる資金として岡地証券株式会社豊橋支店に五〇〇万円を入金し、和解の分割弁済として日本信販株式会社浜松支店に一〇〇万円を支払い、借金の返済として株式会社ジージーエス名古屋支店に一〇〇万円、Lに三百二、三〇万円くらい、Mに五五万円を支払ったこと

4  被告人は、同月五日、E弁護士と共にD方を訪れ、本件和解の成立を報告し、その際、同人との間で弁護士報酬を七七〇万円とする合意をしたところ、更に、右和解金の中から六七〇万円を差し引いた金額、すなわち七〇四六万五一五〇円を株式会社東海銀行押切支店のC名義の預金口座に振込送金する旨約束したうえ、既に受け取っていた着手金一〇〇万円を除く六七〇万円を受け取った旨の領収証をDに手渡したこと

5  被告人は、同月六日、E弁護士の報酬分として、被告人の前記預金口座から同弁護士の普通預金口座に三三五万円を振込送金して支払ったこと

6  そして、被告人は、同月八日ころから同年五月二七日ころまでの間、別紙一覧表番号2ないし10のとおり、被告人の前記預金口座から合計五五五九万二二三六円の払戻しを受け、同金員を借金の返済や株式投資等に充てたこと

7  被告人は、同年三月三一日ころから同年五月二七日ころまでの間において、和解金と同額以上の金銭を現実に保有ないし預金していた状況になかったこと

8  被告人は、DやCから右のような和解金の流用について承諾を得ていなかったこと

などが認められる。

してみると、右のような払戻しや支払状況等に照らしても、そもそも被告人が小切手分の金員の払戻しを受けて報酬分を超えた金員を自己の用途に使用すること自体、Dの委託の趣旨に反することといわなければならず、また、このことは被告人が最初に払戻しを受けた時点から着服領得しようという意思を有していたことを強く窺わせるものである。

そして、右認定の事実に照らせば、被告人がBから小切手を受け取り、これを取り立ててDのために預かり保管していた金員は、直ちに弁護士の報酬分を差し引いて同人に引き渡すか、同人あるいはC名義の口座に振り込まなければならず、被告人に一時的にしろこれを流用するなどという権限のなかったことは明らかである。

しかも、弁護士報酬請求権の法的性質上、被告人が、自己の報酬分を差し引くことができるのは、C側に対し決められた和解金を支払った場合、すなわち被告人としてなすべき義務を尽くした場合に初めて認められるのであって、その義務を履行しないで報酬金だけを取得できる根拠はないというべきである。

そうすると、被告人が自己の未払報酬請求権と相殺する意思をもって和解金の払戻しを受けたものであるとしても、その行為は明らかにDの委託の趣旨に反する行為というべきであって、その際被告人に不法領得の意思のあったことは明白である。したがって、被告人は、第一の犯行については、三三五万円を含め業務上横領罪の責を負うものといわなければならない。

二  第二の事実について

前掲関係証拠によれば、次のような事実を認めることができる。すなわち、

1  被告人は、NがFを被告として提起した更正登記手続請求事件について、被告代理人として訴訟活動を行い、平成五年七月一審で勝訴し、また、平成六年七月二審でも勝訴し、右訴訟事件は確定したこと

2  被告人は、同年一〇月下旬ないし一一月ころ、Fに対し、その報酬金として二四〇万円を請求し、同人もこれを了承したこと、その際、被告人は、Fから、今手持ちの金がないので、年内にできるだけ支払い、残額については土地が売れてからにしてほしい旨の申入れを受け、これを了承したこと、そして、Fは、同年一二月一二日、株式会社中京銀行豊橋支店の被告人名義の口座に五〇万円を入金したこと、その後、被告人とFは、残額一九〇万円について、F及びGが共有し、被告人に売却の交渉を依頼していた本件土地建物の売買代金から支払うことで合意したこと

3  一方、被告人は、Fの意向を受けて、同月上旬ころから、不動産ブローカーのHとの間で右土地建物の売却交渉を進め、その結果、売買価格を一五〇〇万円とし、ほかにHが被告人に謝礼金として五〇〇万円を支払うことで合意したこと、そして、被告人は、Fに対し、売買価格が一五〇〇万円であり、右謝礼金の半額二五〇万円を上乗せして合計一七五〇万円を同人に支払う旨伝えたこと、その際、Fは、被告人に対し、改めてその金額の中から前記報酬分一九〇万円を取ってほしいと申し入れたこと

4  被告人は、同月二〇日、F及びGの代理人としてHと本件土地建物の売買契約を締結し、Hから二〇〇〇万円を受け取ったこと、そして、被告人は、同日、前記D方へ赴き、同人に対し、Hから受け取った二〇〇〇万円を被害弁償金の一部として支払ったこと、また、被告人は、同日、Fに対し、右一七五〇万円を翌年一月末ころに支払う旨伝えたこと

などが認められる。

右認定の事実によれば、Fには既に被告人に対する一九〇万円の支払義務が発生しており、しかも、当時Fとしてもすぐに支払えるだけの資金がなかったため、本件土地建物の売却代金を充てることで被告人の了解を得ていたことが認められる。そうすると、被告人及びFの間においては、当事者の合理的な意思解釈として、本件土地建物の売却代金が被告人の手元に入った段階で、その金額から優先的に一九〇万円を控除しその残額をFに渡せばよいという特約がなされたというべきである。

そして、右認定の事実に照らせば、被告人がHから受け取った二〇〇〇万円のうち、五〇〇万円についてはHから特に被告人に交付された謝礼金であること、また、被告人がFに対し請求できる報酬の未収金一九〇万円については、売却代金一五〇〇万円から差し引くことが許されていたことが認められるから、Dに手渡した売却代金一五〇〇万円のうち一九〇万円分について、これを自己の用途に費消したとしても、委託の趣旨に反する行為ということはできない。したがって、特約に従い一五〇〇万円から一九〇万円を減額した一三一〇万円が横領金額ということになる。

(適用法案)

注・適用した刑法は、平成七年法律第九一号による改正前のものである。

罰条(各犯行) 各刑法二五三条(第一、第三の犯行はいずれも包括して)

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条

本文、一〇条(犯情の最も重い第一の罪の刑に法定の加重)

主刑 懲役二年六か月

(量刑事情)

本件は、弁護士であった被告人が、判示のとおり、三件の依頼に関し、業務上預かっていた合計八八六九万円余りを横領したという事案である。

弁護士は、依頼者の信頼に基づいて事件処理を受任し、依頼者の正当な利益の実現に努めるよう期待された存在であり、そのような職責を担う被告人が、依頼者の利益に背き、その信頼や期待を裏切って、依頼者のために預かった金銭を横領するという重大な違法行為を行ったことは、誠に遺憾なことであって、その責任の重いことはいうまでもない。本件各被害者は、弁護士の被告人に全幅の信頼を置いて大金の預託等をしたものであって、何の落ち度もないのに裏切られ、大きな経済的被害と精神的苦痛を被っている。第三の被害者(J関係)は、被害弁償を得ても、未だに厳しい被害感情を示している。本件の被害総額は、八八六九万円余りと極めて多額に及んでおり、後記のように示談が成立しても、その完全な被害回復までには相当な年月を要する。

被告人は、株式取引にのめり込み、借金をして投資したが失敗を重ね、多額の負債を抱えた末、依頼者から預かった金銭を借金の返済や株式投資等に充てたのであり、その動機は、まさに私利私欲に基づく自己中心的なものであって、酌量の余地はない。特に、第二の犯行は、第一の犯行の発覚を恐れ、被害者からの刑事告訴や弁護士会への懲戒請求を思いとどまらせようとして、弁償金の一部に充当して急場を凌ぐために敢行されたものであって、自己の保身を図らんがため更に罪を重ねたものである。被告人の各犯行は、弁護士としての使命に対する自覚と職業倫理に欠けていること甚だしいものである。

以上のように、被告人は、本件各犯行により、被害者らに対し多大の経済的、精神的打撃を与えたばかりでなく、弁護士に対する社会的信頼を大きく傷つけたものとして、その責任を厳しく追及されなければならない。

そうすると、被告人は、自己の非を素直に認め、本件各犯行について深く反省するとともに、被害者らに対し謝罪の意思を表明していること、第一の被害者(C関係)との間で示談を遂げ、これまで四七七四万円余りを弁償し、残額については保釈保証金のうち三〇〇万円を充てるほか、平成一〇年一月一日から平成二六年五月三一日まで分割弁償を約していること、第二の被害者(F関係)との間でも示談を遂げ、これまでに一〇〇〇万円を弁償し、残額については平成一〇年一月一日からの分割弁償を約していること、第三の被害者(J関係)については二〇〇万円全額を弁償していること、関係被害者のうち、第一の被害者は現在では被告人の寛大な処分を希望し、第二の被害者は被告人の反省と誠意を認めて執行猶予付の判決を希望するに至っていること、被告人は、本件を契機に弁護士会から除名処分を受けるなど、既に相当の社会的制裁を受けていること、もとより被告人には前科前歴がないこと、妻が今後の協力を約束していること、一家の支柱である被告人が自由刑の執行を受けることになれば、物心両面において家族の生活に重大な影響を及ぼすことは明らかであり、また、被害弁償の履行に支障を来すことになること、その他弁護士としての業績など被告人に有利な又は酌むべき事情を最大限考慮してみても、社会的な使命と職責を負っている弁護士でありながら、本件のような重大な背信行為に及んだ責任は極めて重く、主文のとおりの実刑に処するのが相当である。

(裁判長裁判官 佐藤 学 裁判官 島田 一 裁判官 中島基至)

別紙一覧表

番号、横領年月日(平成六年、ころ)、横領金額(円)

1、四月 四日、一八〇〇万一四四二

2、四月 八日、四〇〇万〇〇〇〇

3、四月一一日、五〇万〇〇〇〇

4、四月一四日、一〇万一〇〇〇

5、四月二〇日、五〇〇万〇〇〇〇

6、四月二二日、一〇万〇〇〇〇

7、四月二八日、二五五〇万〇六一八

8、五月 二日、二〇〇万〇六一八

9、五月一〇日、一七〇〇万〇〇〇〇

10、五月二七日、一三九万〇〇〇〇

合 計 七三五九万三六七八円

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